社会人の頃のJim-1-

 

 

ここまで、フィリピン留学とそこでの勉強方法をちょこっと

交えながら、私の経歴についてお話ししております!

 

-Jimは仕事なにしていたの?-

はい、過去の記事でもお話していますが、私は就活中とりあえず海外赴任できそな企業を探して就職しました。

私が入った企業は、家具を扱っている某企業でして、
現在海外進出を急速に進めている企業でした。

 

普段は、店頭で販売として立ったり、裏でパートさんの作業管理や数値管理、
クレーム対応等全般行っておりました。

 

就職したのちには、”とりあえず1回海外のオフィスで働いてみたい”という気持がかなり強くなっていて、

 

もしこの企業で働いて海外への将来性が全く見えなければ退職して、
別の道を探そうと思っていました。

 

仕事に関しては、手は一切抜かず、たまに泣きながらも必死に覚えていましたww

 

仕事に関しては、上司にも恵まれ評価を頂くことができたので、
とてもやりがいがあり、ない頭をフルに回転させる状況だったので、
とっても充実した時間でした。

 

ただ、ふと一人で家にいるときによく考えるのは、いつ海外に行けるのか?ということばかり。このまま20代が過ぎてしまっていいのだろうか?という焦りばかり感じていました。

 

きっと今記事を読んでくださっている皆さんも学生だろうが社会人であろうが
こんな不安は一度は持ったことがあるかなとは思います。

 

-なんで会社を続けて海外を目指さなかったの?-

確かに、この会社で早くても6、7年しっかり評価をとり続ければ海外勤務も有えるよ!という話はあったのですが、就職においても人生においても巻き返しのきくこの20代ということにこだわり、退職に至りました。

 

実は、小さい頃から母にずっと言われていた洗脳にも言葉がありましてwww

 

それは”人生は一度きり、やりたいことをやってみろ”

 

この言葉を自分にしっかり落としてこんで、本当に理解している人ってまだまだ

少ないと思うんです。

 

私の年齢の一回り以上の方と食事等でお話しさせて頂くときも

”あのときアレやっとけばよかった”、”若いっていいよな”

とかっていう方本当に多いんです。

 

日本に住んでいると見えてこないんですけど、本当に私たちは固定概念の

世界に生きてるんだなと思うんです。

 

高校→大学→就職→結婚

この流れって本当に頭の中で染み付いている考え方だと思いませんか?

就職しなきゃ、とか大学いかなきゃ、とか”しなきゃ”が有るからこそ
その道を外す、もしくは何かを捨てるような感覚になって挑戦って怖くなると思うんです。

もちろん勘違いしてはならないのは、家族など自分だけの範囲におさまらないものがある限り、本当にその挑戦をしていいのかはしっかり計画を持って考える必要があるかと思います。

 

あくまでこの記事は、学生であったり、まだ自分の新しい家族を持っていない社会人の方に発信している内容ではあります。

 

短い文章の中で私が思うことを凝縮させてしまったので、もしかしたら間違って伝わっていることもあるかもしれません。

 

ずっと書いてきていますが、私は本当にスキルも中身も全く詰まっていない
人間です。

それでも一度きりの人生、まずは自分自身がとことん楽しむためにも、
固定概念なんて一度捨ててやりたいことに向かい合っていきましょうよって
お話がしたかっただけでした!

 

もし、夢や目標がなくて困っている方がいらしたら、一回リセットしてやりたい
ことと向かい合ってみるかってなってみても、それは絶対に間違いではないと思いますよ!

 

仮に20代でその結果が出せなくても、その後30代の仕事でカバーできる時間はたっぷりあります。

 

そして、おじさんおばさんになったときに、まあやりたいことをやったし良いか!って今後嫌いな仕事で食べていくことになっても踏ん切りがつくかもしれませんしね^^

 

まずは、動いてみないと後悔するかもねってお話でした。

 

“なんも出来ないJimにそんなこと言われても”と思って頂いても仕方は
ありませんが、生き方に正解はないですからそれならやりたいこと
一緒にやってみましょう!

 

ここまで読んで頂きありがとうございました!

 


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オーストラリア出発まで-1-

 

 

初めまして、Jimです。

 

ここでは、脱サラして2017年3月からオーストラリア でインターンシップで働き、そのまま就労ビザを貰うことを目標としているJimの奮闘記を載せていこうと思います。”勉強もロクにできない”,”お金がある家の出でもない”,”なにか特技があるわけでもない”そんなコンプレックスの塊のJimが海外に挑戦するという奮闘記を綴りながら勉強方法や物の考え方を紹介していこうと思い、ブログを立ち上げました。

 

 

私もそうですが、勉強とか留学の方法論とかいうよりも海外に行く人のバックグラウンドとか仕事とかその人自身の生き方が気になることもありますよね?ということで、私の今までの、そしてこれからの英会話の勉強方法と一緒に、私自身の考え方や今までの経歴も合わせて書いていこうと思います。

 

そもそも…

 

-Jimって誰なんですか?-

はい、私は札幌出身の現在フリーターの男ですwww冒頭でお話しした通り、2016年9月に2年半勤めた会社を退職して、シドニーへ渡航を決めました。シドニーでは、代理店を通し、4ヶ月会話に特化した学校へ通いビジネスインターンの面接を受け、現地の企業でオフィスワークに挑戦するという目標を持っています!

 

-なんで海外で海外で働きたいの?-

はい、私はただ海外の景色や雰囲気、映画が好きなだけで収入や安定の生活を投げ捨てて、渡航します…好きになったキッカケは、小学生の頃、母がビデオデッキで再生していた”フルハウス”でした。いかにもなアメリカンなお家やジョークに漠然とした憧れを持ち始めていました。

 

ここまで、読んで頂いてわかる通り細かい目標とかって実はないんですwww 私も他のブログとか留学体験記とか読むと ”将来は英語を学んで東南アジアで IT会社で働くんです”とか、”日本に戻ったら大学に入り直して〜”とか皆さん具体的な目標を持っているんですよね。

 

けど、そんなグローバルに活躍する人って少し自分としては現実からかけ離れてるような気がして…だから、私のような特別なスキルをもっていないサラリーマンでも、一つ考え方を変えれば海外に行く勇気を生み出せるということを是非皆さんに知って欲しかったのです。

 

少し長くなりましたので、次回で詳しいJimの学生生活の話や気になる英語の実力を書いて行きます。ここまで読んで頂きありがとうございます!

 


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オーストラリア出発まで-2-

 

 

 

-どんな学生生活を過ごしたの?-

 

はい、まず中学は英語とも無縁で、部活としてもやっていたテニスに毎日明け暮れていました(特に全国大会とかに出てたわけでもありませんwww)高校生活はというと、ここでもやっぱり英語を含めた学校の勉強の成績は見事に学校の順位ど真ん中でした。普段の生活は、変わらずテニス部の活動とあとは入学当初からギターを始めたくらいの変化しかありません。味気ないですよね!

 

成績も特に伸びきることなく、国公立の大学を受験するも見事撃沈…浪人する気も起きなかったため(まあ勉強がきらいでした)札幌にある、ネットではよく叩かれているいわゆる”Fラン大学” に入学しました。ここでも、特に目標や就きたい職業もなく、”なんとなく経済学部に入学” という始末…入学当初も、本当に留学や英語を頑張ろうなんて毛頭なかったのです。

 

この頃は、特に人見知りも激しく、人前で話すことが苦手だった私は”海外”や”英語”とはかけ離れた人物でした。自覚はしていながらも、日々バイト、音楽サークル、遊びに明け暮れる毎日で、そうこうしているうちにすぐに1年が過ぎていましたね。本当に自分に投資なんて一切しませんでしたよ。目の前の楽しみだけを追っている日々です。

 

これといった努力はしないくせに、やっぱりコンプレックスの塊な自分は、一年過ぎて漠然と”このままではまずいよなぁ”とか”なにかしなきゃな”と考えるも特に行動には移らずww 多分この記事読んで頂いている方もイラっとするほどのダメ人間ですよねwwただ、そんな私にも大学2年の夏で転機が訪れます。

 

そう、実は私初めての海外に出るのです。しかもいきなり1ヶ月の短期留学。

 

-あの人見知りで勇気もないJimが海外?-

自分もなにを焦ったのか、TV番組で流れていた”今、フィジーが熱い”という特集を見て、急遽渡航を決めたのです。はい、めちゃ怖かったです。できれば行きたくないけど、何か変わればというとても嫌々な気持ちの出発ですwww

 

今思えば、1ヶ月でなにが出来るんだよ!と思いますが、その頃の自分からすると、とんでもなく大きなことをやるような気分になっていました。ちなみに旅費は、小さい頃からお年玉などで貯めていた分でまかなえましたが。

 

フィジーでは、インド系(英語)の家族のもとでホームステイをし、平日は学校で約6時間ほどのグループクラスを受講していました。学校はEOP(English Only Policy)であったのですが、生徒はほとんどが日本人で。。それはまあいいんですが、やっぱり生徒の前でのスピーチはとにかく手も震えて緊張し続け、めちゃくちゃ涙でどもっていました。慣れることは全くなかったですね。家では、ホストマザーが気を遣って色々話しかけてくれましたが、インド訛りの英語は自分にはほぼ理解不能でしたwww 学校でも既に何ヶ月も滞在している方や人見知りせずどんどん発言する人がクラスをリードしていたから自分はなにも出来ず、”一体なにをしに来たのだろう”と落胆するというオチでした。

 

もちろん休みの日には学校の友達と離島に出てみたり、飲みに出かけたりと楽しい思い出もありましたが、旅行記はまた別で綴ろうと思いますww

 

ダラダラと書いてしまいましたが、結論としては本当に成長に繋がったの?という旅でした。帰って来てから英語力はどうなのというところですが、所詮一ヶ月この段階ではTOEICなどの試験も受ける実力じゃなく、たまに街の飲食店などで出会う外国人に話しかけられても返事はおろか聞き取りも出来ない状態でした。

 

さあ、ここまで読んでいると本当に来年オーストラリア行ってJim大丈夫かよ?!って思いますよね。はい、けどそんなビビリな私が少しずつ変わる様子があるところも次回書いて行きますね!

 

ここまで読んで頂きありがとうございます!


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オーストラリア出発まで-3-

 

 

この第三回まで私の経歴について長々と書いておりますwwご容赦くださいm(_ _)m

 

はい、では前回の続きですが人生初めての海外(しかも短期留学)を経験した私でしたが残念ながら英語に関しては伸びず、出会う外国人ともまともに受け答えをできるわけではなかったとお話ししました。

 

-Jimの中で変わり始めたものとは?-

では、唯一私の中で少し変わった部分というのは、今まで怖くて出来なかったことに”今ならチャレンジできるかもしれない”という気持ちになれるようになったことです。実は、大学のゼミではメンバーで全国の大学討論会に出場する機会があるものでした。その概要は、めちゃざっくりですけど各大学で自分たちの研究したいテーマを一つ選び、テーマが合致した大学同士で、あーでもないこーでもないと経済効果の検証を議論するものでした。

 

そこで、自分での最初の挑戦となったのがこの議論の議長となることでした。そんな大したことないじゃん!って思いますが、当時の自分からするとこれも挑戦の一つだったのです。変わらず緊張しいでしたが、帰国してからはこの性格を直そうと苦手なものにチャレンジするようにもなっていまいした。

 

また、緊張したりおじけ付きそうになるときには、今まで自分が行った挑戦を思い出して気持ちを落ち着けることに気づき始めた頃でもあります。討論会に関しては準備とメンバーの助言のおかげで、成功しました。フィジーで英語のスピーチをどもりながら、泣きそうになりながらしていたことを思い出して、”今回は日本語で話せるから大丈夫”だと思いこみながら討論会を進めていましたwwもちろん人前で話すことはすぐに慣れるわけはありませんが、こうした小さい挑戦でも自分を強くするのかと意識し始めるいいキッカケとなりました。ここまでは、大学2年生の経験でした。

 

ちなみにようやく討論会のあとにTOEICの勉強を始めたのですが、一ヶ月ほど単語の勉強と中古書店で購入した問題集で構文等も勉強していました。点数は620点と初回にしてはまずまずでしたが、特に履歴書に載せることのできる点数でも日常会話ができるわけでもなかったので、満足はしていませんでした(_ _).。o○

 

-就活は時期はどうしたの?-

3年目になると、いよいよ就活の時期となり、第1回でも記述したようにJimには夢がないため、そこで一番苦労しました。。。やりたいことがないって一番辛いんですよね、輝かしいことをしてきた人間でもないですからww

 

とにかくエントリーシートを書く前に自分がなにをしたいのかとずっと考えていました。そこで、なんとか行き着いた答えがなんの職かはわからないけど、とりあえず海外赴任できる会社を選ぼうと思い選考を進めて行きました。面接では会社から”何で海外なの”??”と問われていましたが”多角的な視野を持って〜、blah blah blah”と準備した小難しい話をしていましたが本心では”小さい頃からの憧れだった”というシンプルな野望は変わらず、この頃から”世界でやってみなきゃ、世界を見てみなきゃわからないこともあるだろう”と開き直りにも似た考えを持つようになりました。

 

結果、海外赴任の機会もある企業から内定をもらうことが出来ました!これは、裏話にはなりますが、内定を貰った企業の最終面接の前日にはワーホリの資料をかき集めいましたwww落ちていたら就職しないでワーホリ制度を使って海外に飛び立つ気持ちがありました。

 

-内定が決まった4年目は何していたの?-

はい、この時期は気持ちにも余裕ができたので、次の”挑戦”を何するか考えていました。基本勉強は苦手で嫌いなので、時間ができても尚、資格の取得などはしませんでしたwww挑戦を語る割にはまあ怠惰ですよね!今となってはもちろん後悔していますが。。。

 

さて、札幌の雪も溶けてきた4年目の頃、ふともう一度海外で英語を頑張りたいなと思ったJimは、語学留学サイトを一心不乱に検索します。この頃から英語を”喋れる”ようになりたいなとようやく思うようになりました。そして就活時期に自分は海外で働いてみたいという目標ができた以上、喋れる方がいいのは当たり前ですからね。

 

英語を学ぶためにと思い、英語圏の学校を探していましたが奨学金を借りている身でアメリカやカナダ、イギリスなどには到底いけませんでした…

 

そこで、出会ったのがフィリピンです。まず英語通じるのかよ?!と思いました。しかし、調べていくと英語を公用語としており国民の半数以上が英語を話せるという情報を見つけ、更に費用はというと欧米や欧州の3分の1ほどであり、お金のない自分でもいけるかもしれないということがわかりました。フィリピンでの話は、会話の勉強方法や心得など皆さんにお伝えしたいポイントもいくつかあるので

 

 

次回どうやって出発したかなど詳しくお話ししたいと思います。

 

ここまで読んで頂きありがとうございます!

 


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